努力というもの

営業企画部 東田です。

青少年の頃、ダサイと思っていた努力。
努力っていうものの観点は、私はちょっと違うかもしれない。
私としては当然のことだと思っているんですけどね。

才能と努力は掛け算

芸能界を引退された島田紳助さんのお言葉が私にとってすんなりと入ってきて、私のイデオロギーになっています。
才能が最大10、努力も最大10だとします。
才能が10、いわゆる天才と呼ばれる人間がこの世界には多少存在します。
ただ才能があるだけでは何にもなりません。
努力をしなければ、その技能は伸びません。
3の努力をすれば、10×3で30、5の努力をすれば10×5の50となるわけです。
才能のない人間が才ある人とやりあうには、それ以上の努力をしなければなりません。
天才の10の人が1しか努力をしなければ「10」
普通の才覚5の人はその2倍以上の努力をすれば勝てるわけです。

努力はかっこよくもかっこ悪くもない「当然」

私は芸事の世界にも身を置いていました。
歌も歌ってましたが、1週間声も筋力もトレーニングしないと一気に衰えます。
だからプライベートはあってないようなものです。
歌唱力を維持ではなく高める、20数曲のライブをパフォーマンスを落とすことなくやり通すための体力と筋力の向上。
曲作り、レコーディング、ライブ。
もはや休む暇なんてないのです。
でもそれが当たり前で、やってるから偉いわけでもなんでもありません。
自分がやりたいことを仕事にできている人はそんなに多くないでしょう。
だからと言って、ひとたびプロとして社会に出た限りは、その職種のその技能において才ある人と肩を並べる、否、追い越すために人よりも努力をする必要があります。
実際の勤務において、残業なんてナンセンス。
業務後、休日、ここで何をするか。
別に四六時中何かを学べとかそんなことを言うつもりはさらさらありません。
先日書いたとおり、言われてやっとやる人はタカが知れてます。
プロを自覚している人は、普通に自然にやってます。
当然のことですから。
そしてそれを偉いことだとも思ってません。

これでいいと思った時点でその人は終わる

ここまでやったしもうこれでいいや。
もしこう思ってしまったら、その人の成長はそこで止まります。
そして自分より努力をしている者、才ある者に抜かれて居場所を失います。
命が尽きるまで学び続けなければなりません。
どんな業界でも、死ぬまでに全ての技術と知識を習得することはできませんから。
技術者として引退して長いですけれども、pythonやgoを勉強したりというのは欠かしていません。
人間の必要最低睡眠時間は4.5hですから、それ以上の睡眠は無駄なので今まで8h寝ていたら、3.5hも時間を作れます。
あらゆる無駄を排除すればもう1h~2hくらい捻出できるでしょう。
そういうことを当たり前のようにできるか否か。
特に脳の機能が低下していない若い内の蓄積はとても有益です。
私のようなおっさんになると、記憶容量がフロッピーディスク状態どころか、ファミコンのリチウム電池状態。
冒険の書が消える消える…

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