コラム

幸福というもの

営業企画部 東田です。

私がノンストレスの状態であることに不思議がる人、羨ましく思う人様々なようです。
幸福になるのって、難しいことでもなんでもないと思うんですね。

幸福度

幸福度っていうのは客観的指標と主観的なものとにわかれてくるのですけれども、
日本という国は経済協力開発機構(OECD)の加盟国の中で、「主観的幸福」という意味では、限りなく低い。
主観以外の項目では、「個人の安全」「教育」「寿命」「雇用」「雇用不安」「長期失業率」という点においては、他国に比較して優れています。
「家計の純資産」「労働時間」「健康状態の認識」「投票率」「生活満足度(主観)」という項目においては、他国と比較して低い数値になってます。

幸福を感じるという点で主観

同じ状況にある人間が、幸福と感じるのか不幸と感じるのかは、それこそ価値観の違い。
主観でしかないわけですね。
私は前職では炎の中に喜んで飛び込んでいく、インシデントがあると活き活きしていると評されていました。
嫌なことはやりたくない、後回しにしたいというのが普通の心理なのかもしれませんが、私はどうやら”わくわく”するようです。
ですので、主観なわけです。

客観的に見れば日本人は幸福

夜に出歩いても危険がほとんどない。
教育が充実している、雇用も安定している、水道水をそのまま飲んでも身体に異常がない。
これが日本全域で担保されてます。
あらゆる国で、国家全土にわたってこれが保証されている国はあるとは思えないんですね。
そういう意味では、特殊な事情がなければ日本人は産声を上げたその時点で幸せな環境にいることになるわけです。

金を使わなければ幸福になれない幻想

私は以前に婚約をしていて解消しましたが、それに至るまで1000万円くらい消費しています。
経営者になるにあたって資本も投じてます。
ですので、個人資産ってものは同年代からすると低いです。
私自身、自分のためにお金を使うことがそうそうめったにありません。
この数年で一番高い買い物はなんだったか考えると、婚約指輪とか引っ越しや家具を除いて(自分の為だけではないので)、PS4のみです。
そして私の生活レベルは20代の頃から全く変わっていません。
家賃も初めて一人暮らししたときから、10000円くらいしか変わりはありません。
※現在吉祥寺の2DKに一人暮らししてますが、不動産屋さんが頑張ってくれたので実現しています

ですのでお金使ってないんですけど私は幸せです。
カラオケが趣味だ。カラオケに行くにはヒトカラでもお金がかかる。仕方がない。
ではなくて、消音マイクを買って、ネットでカラオケ音源を再生させて歌えばランニングコストは限りなく低くなります。

自分へのご褒美という概念も私には理解不能の領域です。
自分へのご褒美にコストをかけると、そのコストを稼ぐために余計に時間というコストを使う。
OECDの幸福度調査において、労働時間という指標で各国より低い数値を計上していましたが、そのために残業しなければコストを算出することができなくなるわけですね。
とっても非生産的です。

仕事はストレスが溜まるのは当然

個人の自由が8時間近く消費されるわけですから、ただ仕事をしているだけでストレスは通常溜まるものです。
自分が好きなことをしている人は当てはまりませんが、極少数なんじゃないかと思います。
私はRPG的感覚もありますが、知識なりスキルなりそれを積み上げてレベルを上げて、成功へ近づくという観点もあります。
一般的な方々であれば、レベルを上げることによって収入を上げるのだ、創業するのだということを決めれば、いろいろなことがクエスト感覚で面白いんじゃないかなぁと思います。
日本人って、苦しい状況にいることが美徳というようなマゾっ毛たっぷりなところがありますが、本物のマゾならいいんですが、そうでない人たちはわざわざそんな心理状況にいる必要性ってないですよね。
だって幸せになるために生きてるんだから。

私にとっては仕事=遊びですから、皆さんが労働としているものが私にとっては趣味みたいなものです。
そのため土日も仕事=遊びをしています。
労働となればストレスが溜まるでしょうが、遊びなので時間を忘れて遊びます。
遊びでも勝ちたいので、経営の勉強をする、IT界隈の勉強をする、雑学を勉強する、法律を勉強する。
ある種細かなルールを覚えて、勝ち方を論理的に計算していくわけですね。
勉強=遊びを充実させる
ということになるので、私にとっては勉強すらストレスが溜まりません。
とはいえ私は特殊な人種であることは自覚しています。

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